2012年7月12日木曜日

その4 「お金」 マタイ6章

前回、私たちはナオミの生涯から「孤独」について学びました。彼女には、自分をあわれむ十分な理由がありました。夫の死、二人の息子の死、異国での生活、そして老い…。でも彼女は、自己憐憫に陥いることなく、「二人の嫁の幸せ」を心から願い、利用せず、優しい言葉をかけました。そんなナオミの姿から、孤独な時こそ「受けるよりも与えるほうが幸いである(使徒20:35)」というイエス様の教えの上に立つことの大切さを教えられました。本日は「お金」ついてです。

「繁栄の神学」というキリスト教的御利益信仰があります。簡単に説明すると「神様の御心は、私たちが繁栄することである」という教えです。罪を離れ、よく献金をし、よく奉仕をするなら、神様は必ず私たちを祝福してくださるという教えです。とても分かりやすく、私たちを惹きつけます。事実この福音は、アフリカやラテンアメリカで爆発的に広がりました。でも本当にそれでよいのでしょうか?全てが間違い、というわけではありません。確かに、祈りの結果として、祝福と繁栄をこの世で受け取る人もいるでしょう。しかしそうでない場合もあります。そもそもイエス様はお金持ちでしたか?いいえイエス様には「枕するところさえありません(マタイ8:20)」でした。そして十字架につけられ、殺されたのです。パウロはどうでしたか?「私の労苦は彼らよりも多く、…労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。(Ⅱコリント11:23,27)」と言っています。こうして見てみると、私たちの信仰は、むしろ「天に宝を積む信仰(マタイ6:20)」ではないでしょうか。 

アメリカのテレビ伝道者のことが紹介されていました。彼は繁栄の神学を主張しこう言いました。「新しい車が欲しいとお祈りする時は、必ず何色の車がいいかまで神に申し上げましょう。願った通りのモノが手に入るのですから」。そのメッセージは人々を魅了し、彼は大成功し大金持ちになりました。でも贅沢すぎる生活が人々に躓きを与え、彼は大きなスキャンダルを犯して消えていきました。聖書には何度も「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです(Ⅰテモテ6:10)」「金銭を愛する生活をしてはいけません(ヘブル13:5)」と警告されています。また「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい(13:7)」ともあります。彼はまさに反面教師となりました。 

でもだからと言って「貧しさ」が「美徳」かといえば、そうでもありません。日本では、仙人か修行僧のイメージがあるのか、信仰者、特に献身者には「清貧」を求める傾向があります。たしかに「金銭に無欲」であることは大切です(Ⅰテモテ3:3)。しかし聖書には「よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬(新共同訳:報酬)を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです(Ⅰテモテ5:17)」とも教えています。献身者だけでなく、すべてのクリスチャンに対しては、このように教えています。「また私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです(Ⅰテモテ4:11-12)」。つまり「貧しくあれ」とうよりは、むしろ「ちゃんと働いて、証しになる生活をしなさい」「働いている人にはちゃんと報酬を与えなさい」と教えられているのです。 

私たちは「富」について、どう祈るべきなのでしょう?一つの祈りを紹介します。「(父なる神様)…貧しさも富も私に与えず、ただ私に定められた分の食物で私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み『主とはだれだ』と言わないために。また私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために(箴言30:8-9)」。つまり、貧しくもなく、富み過ぎることもなく、必要な糧が与えられるように、との祈りです。でもそれは、自分の必要だけ満たされたら良いというのでではありません。主の祈りには「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください(マタイ6:11)」とあります。「私の」ではなく「私たちの」です。自分の必要だけではなく、周りの人々も含め、すべての人々が、糧を与えられることが大切なのです。どうしても働けない人や、災害で苦しんでいる人々もいるでしょう。彼らのためにも働き、喜んで分け合う精神が大切です。神の国とその義とを第一に求める信仰とは(6:33)、そういう具体的な愛の行動を伴うのです。 

空の鳥を見なさい。思い煩わず、その日その日を精一杯生きています。私たちも、全てを神様にゆだねながら、神と人のとのために、いのちを燃やし、一日一日を精一杯生きたいものです。 



かえって、困っている人に施しをするため、
自分の手をもって正しい仕事をし、
ほねおって働きなさい。
エペソ4章28節





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