成功自体がいけないのではありません。聖書にはこうあります。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える(詩1:2-3)」。決して「成功そのものがいけない」とか「うまくいきすぎていることに罪悪感を覚えなければいけない」とか、そういうことではありません。また、クリスチャンになったらからと言って必ず成功するとも言われていません。聖書には、前回も学びましたが「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです(ピリピ1:29)」ともあります。大切なのは、順境の日も、逆境の日も、主とともに歩む秘訣を心得ていることです(4:12)。
成功者は偉いのでしょうか?以前アメリカのビジネス誌フォーチュンが、成功をおさめ、財産を築いたビジネスマンが「若い時の妻」を捨てて「若い妻」と結婚する傾向が強いことを明らかにしました。これだけのことを成し遂げたのだから、自分にはそれだけの価値があると思うのだそうです。長年、経営者のカウンセリングに当たってきたハリー・リヴィングストンはこう言っています。「懸命に働いて今の地位を築いた人たちにとっては、好き放題に出来ることが報酬となる。彼らはそれを手に入れたいと考えているし、成功によってそうする権利を得たと思っている」。聖書に登場するダビデも、最初は純粋な若者でしたし、神のみこころにかなうものでした(Ⅰサム13:14)。しかし王として成功した時、彼は若い人妻を召し入れ、その夫を殺害したのです。(彼はその後悔い改めましたが、この出来事は彼の半生と、子と、国に、暗い影を落としました)
成功には誘惑が伴います。①怠惰:成功者は煩わしい仕事から手を引き、楽をしようとします。自分にその仕事はふさわしくないと思うのです。しかしそこに罠があります。ダビデも部下が国のために戦っている時バルコニーでくつろいでいました。その時情欲の罠にはまってしまいました。②偽りの安心:自分の成功に酔いしれて、その成功を与えて下さった神様への感謝も、成功の実を、隣人と分け合うことも忘れてしまうのです。ルカ福音書に登場する金持ちもこう言いました。「さぁ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ!(12:19)」。彼はこの地上にのみ安心を求め、永遠について考えることを止めてしまったのです。③気持ちがそれること:恐らくこれが最も危険な落とし穴です。物事がうまくいき始めると、責任が増し、生活全体が慌ただしくなってしまいます。するとその埋め合わせをするために、まず日曜日に教会に行ったり、奉仕をしたり、聖書を読んだりする時間が削られていくのです。そして段々と心が神様からそれていくのです。
そして最終的に、神と教会を捨ててしまうのです。それはちょうど、欲にかられた男たちが、若い時の妻を捨てるのと似ています。さんざん世話になり、一番苦しい時に助けられ、一緒に歩んできたのに、成功するとともに、いとも簡単に捨ててしまうのです。彼は言うかもしれない「世話にはなっていない、自分の力でのし上がった」。それこそ究極の自己中心です。同じように、あなたの人生が、ようやくうまくいき始めた時、あなたは言うかもしれません。「神の世話にはなっていない、自分の力でのし上がった。これからは好き放題にさせてもらう」。それが罪なのです。好き放題にするための成功ではありません。そこまで来られたのは、神様の助けがあり、周りの人々の助けがあったからです。そのことに感謝して、本当の意味で、神と人とを愛する者となることが、成功の意味であり目的なのです。あなたの成功を通して神の栄光が現れますように。
「うれしい時の神頼み」若い時に読んだ三浦綾子さんの言葉です。その言葉がずーっと心に残っていて、私の心の襟をただします。私の母は「勝って兜の緒を締めよ」と口癖のように言いました。物事がうまくいき始める、まさにその時、私たちの価値観がふるいにかけられるからです。
人は、たとい全世界を手に入れても、
人は、たとい全世界を手に入れても、
まことのいのちを損じたら、
何の得がありましょう。
マタイ16章26節A
豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、
また、飽くことにも飢えることにも、
富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
ピリピ4章12節
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